【HSPの恋愛⑤】「自分を愛せないと他人を愛すこともできない」って本当?

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こんにちは。くじらです。

今回は、HSPの私が、恋愛について最近考えたことについての記事です。

「自分を愛せないと人を愛すことなんてできない」

一度はこんな言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

私もどこかで聞いて、

「じゃあ私は、一生恋愛できないのでは…??」

と思った記憶があります。

 

そんな私も、マッチングアプリで奇跡的に気の合う彼氏と出会いました。

「なーんだ。自分嫌いでも恋愛できるじゃん!幸せだし問題なし。」

こんな気分で数カ月過ごしました。

恋愛がすべてじゃないし、幸せの形は人それぞれ。

高校生までは、恋愛めんどくさそうだし、一人好きだし。と思っていました。

でも、私には、恋愛は幸せの一部、だったみたいです。

 

この時の私の結論は、

「自分を愛せなくても、他人を愛せるし、その他人が、自分を愛す手助けをしてくれる」ということでした。

数ヶ月の間、この考えは変わりませんでした。

 

けれど先日、私が出したこの答えが揺らぐ瞬間が訪れました。

 

何がきっかけだったか、ちゃんと覚えていないけれど、
彼氏が私に、「元気ないね」といった。夜だった。

確かに私は元気がなかった。

たぶん、

もっとかまってほしい。

彼氏が私の知らないYoutubeを一人で見て笑っている。

そんなところだったと思う。

私は、2人でいるときは2人でしかできないことをしたい、という想いが強い人間だと思う。

友達と遊んでいてもそう。

ご飯の時にスマホを見たくないし、見てほしくない。その2人だからこその話がしたい。

欲張りな人間だ、と思う。

久々の再会を果たした友人、とかならともかく、彼氏とは週一ペースであっている。

勉強会もする。

それぞれに、ひとりの時間は必要だ。私にとっても彼氏にとっても。

でもその時は、かまってほしかった。メンヘラだと言われてもしょうがないぐらいに。

 

私と彼氏は、「不満は?」とお互いのズレを確認し合うことがある。

私が沈んでいたので、彼氏が、「不満は?」と聞いた。「ない」

「じゃあ今の感情は?」「無」「……。」「ねぇ、不満言ってよ」

私が感情を聞かれて、「無」と答えるのは、大抵自分の気持ちを言語化できないとき。

ぐるぐるぐるぐる感情が渦巻いていて、なんて言えばなるべく私が思っている通りに、

でも誰も悪者にしないで、伝えられるのか。

文字にしてみて、かなり嫌な態度だと思う。

結局、「私ばっかり好きっぽい」が私の答え。

否定され、ちょっと怒られた。

私の愛が、指数センチぐらいなら、彼氏の愛は、両手をいっぱいに広げたぐらいらしい。

愛情表現の仕方が違うだけなんだろう、と思う。

 

けれど、ちょっとしたことで、本当にちょっとしたことで、私だけが好きなのかもしれない、と思ってしまう。

「片付けが苦手な私」より、「綺麗好きで、ピカピカの部屋の女」がいいんじゃないか。

「いちいち引っかかっては考えて、ぐずぐずしてる私」より「かっこいい女」がいいはずだ。

「肌がツルツルでそばかすのない女」がいいに決まっている。

私より、もっと可愛くて、かっこよくて、「ちゃんとした女性」が世の中にはたくさんいるし、その中の1人ぐらいなら、相思相愛になれる。たぶん。

 

まぁ、ちょっと大袈裟ですが、こんな感じで、思考が過激になっていって。

結局、自分に自信がないから、「私みたいないい女、もう2度と見つけられないよ」なんて言える度胸がないから、なんだと思いました。

日々のちょっとした愛情表現をきちんと受け取らないで、ふとした瞬間に愛を疑ってしまう方が、随分失礼なことな気がしてきました。

自分を好きになれなくても、

「こういう自分でいい」

「こういうところも含めて、大事な自分だ」

と言い切れる日を、未来に作るために、今は、自分のできることを、一つ一つ。